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始まりは好奇心だった―12周年を迎える赤坂「BAR LiAN」松下カナ ママ【シリーズ・十人十色】

赤坂駅徒歩3分。路地裏にあるおしゃれな隠れ家バー「LiAN(リアン)」。長くお客様に愛され、LiANはこの春に12周年を迎えます。今回はLiANオーナーママの松下カナさんに、ご自身がナイトワークで培った経験や、LiANの波乱万丈な歴史を伺いました。

今回のインタビューのお相手

名前:松下カナさん
経験エリア:渋谷、吉祥寺、新宿、六本木、赤坂など

10代からナイトワークを始め、クラブ・キャバクラでナンバーワンホステスとして活躍。22歳で六本木のお店のママとして経営に携わる。

現在は赤坂の隠れ家バー「LiAN」を経営し、今年13年目に突入。ネイルやメイクなど美容関係にも精通している。

きっかけは好奇心から。最初はできることから始めた

LiAN 店内

-元々ナイトワークを始めたきっかけは何だったのでしょうか?

元々は10代のころ、好奇心で渋谷のクラブに勤め始めたのが始まりでした。当時はバブルの絶頂でしたから、時給7,000円に加え、チップで一日10万円以上稼げるような働き方だったんです。

その頃は学生の合間にファミレスのアルバイトもしていたのですが、あまりにも稼げるのでその差にびっくりしてしまって。その店をやめてからも、時給3,000円のキャバクラなどで働くようになりました。

-10万円のチップですか!未経験でもそれだけ活躍できたのはすごいですね。

当時は男性とのコミュニケーションもうまくとれなくて…お人形さんのように、黙って座っている状態でした。

ただ、しゃべれなくても、その分「とにかく飲もう」と決めていましたね。できることを精いっぱいやろうと。

また最初のころは、お姉さんがたの戦力になれるように意識していました

最初に勤めたお店は、ママが数人・チーママが数人・売上のお姉さん方がたくさん・その下にヘルプのわたしたちがいる…という組織状態だったので、売上のお姉さんについてかわいがってもらっていました。

でも、21歳のころまでは、指名をとるのが苦手でしたよ。

競争心に火がついてとにかく働いた吉祥寺時代

-指名がとれるようになったきっかけは何だったのですか?

吉祥寺の寮つきのお店で働きだしたことですね。

当初、美容関係の仕事とダブルワークで夜の仕事をしていたのですが、いろいろ事情あってたくさん稼ぐ必要が出てしまい、ナイトワーク1本にしました。

そのとき勤めたのが、寮にも住める吉祥寺のキャバクラだったんです。寮に住んでいる子は、週6日出勤することが義務付けられていました。

指名本数が成績とみなされるお店で、300人くらい在籍していましたが、仲の良い子はいつもトップテン入りしていたので、並びたかったんです。

さらに、自分よりも出勤日数が少ない上に怠けているのに、人気がある子がいて。負けたくないという気持ちが強く、がむしゃらに頑張りました。

62日連続出勤して、倒れるまで働いて、指名本数も増やし、300人中16位にまでなりました。

ただ、それ以上はどうしても頭打ちになってしまいました。当時の吉祥寺って、黒髪ロング・ストレート、色白…みたいな清楚系がウケたのですが、わたしはそうではなかったので。

これ以上の成績を出したいと思うのなら、市場を変えた方がいいなと思い、新宿へ移りました。

今思うと、吉祥寺でのお店でもよくがんばったなと思いますけど、新宿に移ってからは、ナンバーワンをとるようにもなりました。

新宿に移りナンバーワンへ。そこで学んだのは接客業の本質だった

-新宿時代にはどのように成績を上げていったのでしょうか?

あこがれの先輩のマネをしていましたね。もちろん、吉祥寺時代の先輩のマネもし、いいとこどりしていました。

新宿時代はとにかく鍛えられました。

テクニック、スキル、接客上の我慢や忍耐…。女の子同士で気を遣うことの大切さも学びました。

また、「お客様にうそをつかない」ことを心がけるようになったのもこのころです。

お店の構造上、お客様どうしの会話が聞こえるくらい狭く、振り向いたらすぐうしろにも自分のお客様が座っているような状態だったんです。

ナイトワークでは、すべてのプライベートをお客様に明かせるわけではありませんから、うそをつくこともあるのは当然なのですが、こんな店内の状況では、あちこちで違ったことを言っていると、ボロが出てしまいますよね。

「ストーリーを一貫させ、適当なことは言わない」ということが身につきました。

また、自分の行動への成果が、「お客様からの売上」と「女の子からの反感」で如実にわかるようになったのも興味深かったです。

当然よくありがちな、女性同士の「お客様をとった・とられた」も気にしませんでした。

わたしのモットーは「決めるのはお客様だから」ということでしたね。わたしたち女性はあくまで「選ばれる側」ですから。

よく、「客を切る」という表現をするホステスやキャバ嬢がいるじゃないですか。わたし、その表現が好きではないんです。

お店にも来ずに口説いてくる男性はまた別かもしれませんが、来店してくださる以上はあくまでもお客様。

ある意味「お客様を育てる」こともできず、自分が大変だから、面倒だからとそのお客様をぞんざいに扱い、切ってしまうのは、「何様なの?」と思ってしまう。

「自分に腕がないのなら、ほかの女の子に任せたら良いのに」と思います。そのほうがお店として見た時に、利益にもなりますから。

初めての経営は六本木。お客様もビラ配りで新規開拓した

LiAN 店内

-お店の経営を始めるきっかけはどのようなものだったのですか?

新宿で働いていたあたりから、どんどん水商売についての自信がついていきました。

そのころには、いろいろとお金まわりの現実を見つめる機会も増えていきました。

それまでは「ナンバーをとりたい」「人に負けたくない」といった名誉や承認を求める傾向にありましたが、だんだん「自分に合ったお店で、着実に稼いでいきたい」という思考に変わっていきました。

そこで新しいお店探しを始め、個人経営している小さなお店の面接を受けているうち、目黒のとあるお店に出会ったんです。

面接に行ってすぐ気に入ってもらえ、体験入店している様子を見られるうち、「今度から六本木に新店を出すんだが、そこでママをやらないか」と。

バイトの面接に行ってまさかそんな話になるとは、と驚きました(笑)

最初は悩んだのですが、雇われママという話でしたし、リスクもなかったので、チャレンジすることに決めました。のちに、会社をつくり、その店を買い取ることになったのですが。

当時、六本木ではお客様をもっていませんでしたし、従業員も素人ばかりだったので、ビラ配りをとにかく頑張りましたね。

わたしは「六本木でビラ配りを始めた最初の日本人」だと思っています(笑)ビラ配りはまじめにやれば、本当に効果がありますよ。

LiAN経営のチャンスは突然やってきた

-拠点を赤坂にうつし、LiANをオープンしたきっかけは何だったのでしょうか。

六本木のお店は共同経営していたオーナーと方向性が合わなくなり、6年ほどでやめてしまいました。

その後、教育係としての手腕をかわれ、新しいスタイルを取り入れた流行りのキャバクラの黒服としても働いたんです。当時は女性の黒服は珍しかったと思いますよ。

ところがだんだん、いわゆる「色恋営業」に自分の中で抵抗が出てきてしまい、これまでと同じやり方では限界を感じるようになりました。

なので、ネイリストとしても活動し始め、ナイトワークをかけもちしながら、のんびり過ごしていたんです。

ところがその矢先、今もLiANで働いているスタッフとの間で、バーを立ち上げる話が持ち上がりました。

このスタッフは当時、自身もチーママとして活躍していて、付き合いもとても長かったのですが、あるとき急に「昔から、いつかバーやりたいって言ってたよね。やるなら今年中に一緒にやろうよ」と言ってくれて。それが2007年の1月でした。

すると、それまでのんびり構えていたのに、ある時突然「赤坂でバーをやらないか」と話を持ちかけてくれるオーナーが現れました。

わたしもパートナーのチーママも、六本木のお客様が中心だったので、最初は迷ったのですが、このLiANの物件を見て一目ぼれしたこともあり、思い切って踏み出し、5月に開店しました。

開店10カ月で訪れた閉店の危機

LiAN 店内

-最初はオーナーママではなかったんですね。

そうなんです。けれど、開店から10か月目で、そのオーナーが詐欺罪をはたらき、飛んでしまったんですよ。

なので、実はLiANも、それにともなって閉店しようと思っていたんです。

-開店から1年しないうちに、閉店の危機があったのですか!

そうです。2月14日に閉店の話となり、2月いっぱいでお店を閉めるつもりで、お客様にも告知をはじめたんです。当時、昼の仕事を持っていないのはわたしだけでしたから、ほかの従業員も生活はしていけるし…とも思っていて。

ところが、残り5日となったころ、あるお客様に喝を入れられたんです。

「本当にそれでいいのか!?閉めない努力はしたのか!?後悔はないのか!?」と。

それを聞いて雷が落ちました。まだやれるべきことをやっていない、と。

そこから急に思い直し、大家さんと交渉して契約をしなおしたり、前のオーナーから営業権を買う交渉をしたりして、バタバタのうちに、LiANの存続が決まったんです。

交渉にあたってお客様に交渉術を教わったり、現金もかき集めて、営業権を買えたのは閉店予定までわずか3日というところでした。

LiANの存在意義は「心の健康」

-その後はこの12年のうちに、閉店しようと迷ったことはないのですか?

ありましたよ。オープンしてから7~8年くらい経ったころが一番迷いました。

まずわたし自身の将来設計を考えて、年齢的に、結婚や出産を考えたりもしたので。

ただ一年ほどじっくり考えた結果、自分の人生のなかでの優先順位をはっきりさせて、そこへの迷いは断ち切りました。

ところがその直後で、このままLiANの経営を続けるべきかどうか、自問自答してしまうことが増えました。

というのも、景気の波があり、やりくりするのがつらくなってしまったことがあって。

世間では経費が落としにくくなり、タクシー代も会社から支給されなくなって、深夜に訪れるお客様がどんどん減りました。このまま、この場所で、この規模で続けていくべきなのか…ということも悩みました。

なによりも自分の中でLiANの存在意義がぼやけてしまったんです。

実はわたし、健康の重要性にはものすごく関心があるんですよ。けれど、どうしても仕事柄、わたし自身も不健康な生活を送りがちになってしまいますし、本当にこれでいいのかと。

けれどあるとき、ドラマを見ていた時に衝撃的なセリフが耳に入ってきて。

主人公が落ち込んだときに、飲みに誘われるときのセリフで、「心の健康のためには、飲むことも必要よ」というようなことを言われる場面です。

そのとき、自分の中で、LiANの存在意義ってこれだ!とはっきりわかったような気がして。

LiANを経営することに対して、初心に返ることができたんです。そこからはまた、迷わずに突っ走っています。

-松下さんがここまでナイトワークを続けてこられたのは、なぜだと思いますか?

気張らないことかなと思います。起こるべきときに必要なことが起こって、導かれるように今があると思っています。

LiAN【求人情報】

LiANでは随時、スタッフを募集しています。
時給や待遇は応相談。未経験者も歓迎いたします。まずは直接お問い合わせください。

BAR LiAN

【住所】東京都港区赤坂2-13-8 赤坂ロイヤルプラザB1F
【電話番号】03-5549-4590
【営業時間】20:00~1:00
【定休日】土・日・祝

LiANはとても良い空気が流れる心地の良い空間でした。明るく気さくなカナママと、日替わりでフレンドリーな女性たちがおもてなししてくれるバーです。

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